神野・賀名生

神野


生子隧道を抜けた五新線は五條市から西吉野村(執筆当時。現在の五條市西吉野町)へ入る。この辺りはずっと川が曲がりくねっており、これから先、短い橋や隧道ばかりが幾度となく現れる。橋を実際に歩いてみると、アスファルトにひびが入っていて、ぼろぼろになっているのが分かった。隙間から川の流れがのぞける位の、大きな穴が開いているのである。JRバスは橋に入る手前でかなり速度を落とすのだが、それでも結構車体は揺れる。この段階になっても、依然として補修工事をしないだろうか。安全面に問題はないのが心配になった。

集落は川に沿ってでき、五新線よりも低地にできている。木でできた雨戸、銀色の煙突と並べられた薪、そして軽トラック。面積の80パーセントを山林で占める西吉野村では林業が発達しているせいか、至る所で白の軽トラックを見かけた。川のそばまで降りてみると貯水池があり、地蔵が祭ってある。この集落では水害が最もこわいのではないだろうか。川の水位が上がれば、あっという間に浸水する。歩いていてそのようなもろさを感じる部分があった。

西吉野村の南に十津川という村がある。1889(明治22)年8月18、19日の集中豪雨によってこの地域は多大な被害にあった。1,000箇所以上で山崩れが発生し流失267戸、損壊家屋343戸、169人の死者を出した。同年10月、生活の目処がたたない村民が北海道移住を決める。第一次、二次を合わせて4,000名近くが北海道に移住、新十津川村を建設する。新十津川町は滝川の目と鼻の先にある。滝川の駅をおりて石狩川をわたればすぐだ。新十津川町には吉野という名前の学校がある。吉野公園もある。新地に移りすんだ人びとの故郷への思いが込められているのだろうか。しかし現在、新十津川村の奈良県出身者は11パーセント程度だという。強すぎる自然を前にして人びとは、都市へ流出してしまうものなのであろうか。

賀名生

(撮影: 2006年8月15日)

親房隧道を抜けると賀名生が見えてくる。

ここのバス停を降りるとすぐ下に賀名生皇居跡がある。1336(延元元)年足利尊氏に追われた後醍醐天皇は、この地で政治を司った。さらに国道168号線を渡ると約2万本の梅が植えられている賀名生梅林は、西吉野村を代表する観光地となっている。

(撮影: 2008年10月4日)


3月上旬、この時梅はまだ蕾であったが多くの観光客が団体バスでこの地を訪れていた。それから生子バス停で乗って小学生たちはここで降り、国道沿いの賀名生小学校へ向かう。全校生徒が100人ほどの、小さくてきれいな学校であった。ここから向賀名生まで進んでゆくと、再び緑の壁が立ちはだかる。国道は山をS字に迂回し、五新線は隧道を通り抜けることになる。

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1月 27, 2019
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