新十津川町

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新十津川の地図



集団移住

8月のうだるような猛暑の中、羽田から千歳行きの飛行機に乗り込んだ。明治22年8月の大暴風雨に見舞われた十津川村の人々が集団移住した地、新十津川町へ赴くためである。羽田空港はちょうど帰省客でごった返しており、手荷物と身辺検査を受けるために並んでいると、正面の液晶ビジョンに現地の気温17度と表示されていた。

当時の移住組はまず徒歩で大阪まで向かった。そこから列車に乗って神戸まで行き、船に乗って北海道の小樽まで移動した。目の前にある子供向けのアニメが書かれたジャンボに乗り込むと、今では約1時間ほどで北海道にたどり着くことができる。当時と比較すると交通網は著しく発展した。札幌駅に着くとそこから学園都市線(札沼線)に乗る。このローカル線の終着駅が新十津川である。札幌駅前には東京を本拠地とする大手家電店が進出し、その広告が至る所で眼につく。駅周辺や人々の姿を見ても札幌も東京もそう変わらないように思える。札幌を出てからしばらくは列車は住宅街の高架線上を進んで行く。駅の待合室はガラスで被われており、北海道の厳しい寒さをしのぐ姿が浮かんでくる。

北海道医療大学を過ぎたあたりから風景が一転、灰色から緑が増え、やがて周囲には田園が広がる。4両編成だった列車も乗り換えると1両編成のワンマンカーになっていた。札幌から新十津川へ行く列車は9時、12時、18時の1日3本のみで、到着の10分後に折り返し札幌へ向かうのである。無人駅のひっそりとした終点まで乗っていたのは自分を含めて3人だった。いずれの2人も列車が好きなのか停車中の列車の写真を異なるアングルから幾枚も撮影していた。

新十津川駅
新十津川駅
学園都市線の終着駅。 奥に停車中の列車が見える。 (撮影:2002年8月)

新十津川開拓記念館

新十津川は開拓によってできた町である。移民が辿り着いたとき、すでに区画はできていた。それらを各人に割り当て、原野を田畑にしていったという。地図をみると矩形的な道路が続く。激しい高度差があり、腸のように蛇行した十津川の国道とは全くの対称である。国道に出るとすぐそばに町役場がある。入口の石碑には「望郷の地」という文字が彫られていた。駐車場では櫓(やぐら)が組み立てられており、夕刻より唄が流れはじめ盆踊り会場となっていた。

しばらく歩き、新十津川町開拓記念館をめざす。吉野地方とのつながりを知りたいと思いここまで来たのであるが、現在では吉野出身者の人口も減り、町自体が他からの移入者で構成されている。館内では母村の歴史を深く取りあげていることに驚いた。そして移住してからの生活と発展の様子を写真や模型などを用いて表している。資料を見て知ったことであるが、移民団は政府や地元の有志たちより当時としてはかなりの補助金を受け取っている。トック原野を開拓してくれる移民団は、国としても北海道発展の大きな力になると考えていたのかも知れない。

山林に住む人びとはそのほとんどが林業で、農業やましては稲作など不慣れだったに違いない。移動してきたものの、結局は村を離れた人もいる。しかし、逆に稲作に慣れた北陸や四国から移住してきた人びとを受け入れ、彼らと共にに発展させていった。村意識特有の悪い意味での排他的な風土が薄かったのではないかと予想する。壊滅的な打撃を受けた母村から誓約書に連名して再建を誓いあい、新しい集落を築きあげた十津川の人々の精神的な強靭さを垣間みることができる。

新十津川町開拓記念館
新十津川町開拓記念館
開基90周年を記念して建設された記念館。 母村についても詳しく触れている。 (撮影:2002年8月)

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